2012/05/28

帰宅が12時頃になると、がっつり夕食をとろうという気にはならない。具だくさんのトマトスープで済ます。明日も明後日も。夕食時に、職場を抜けだして食事にでるのはなんだかめんどくさい。かといってクッキーとかバナナで済ますのも限界がある。明日からはサンドイッチでも作るか。キュウリと玉ねぎのスライス、シーチキンの缶詰の用意をして明日に臨む。





2012/05/27

みっちり詰まった6連勤の後の日曜日は身にしみる。掃除洗濯をすませ、「佐々木俊尚/キュレーションの時代」を読了。少し前の本なので、特に目新しいところはなかったけれど、キュレーションの成功事例として取り上げられていたエグベルト・ジスモンチ来日公演の件は面白かった。おどろくのは日本よりも先に韓国がブッキングしていたこと。http://ohagiyasuji.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_1706.html

夜、切り干し大根の甘辛煮を大量につくる。来週の弁当のおかずはずっとこれ。

2012/05/26

仕事がたてこんでいるので久しぶりの土曜出勤。制作部は4人出社し、朝から黙々と作業をこなす。電話や打ち合わせがないので、やはり普段よりも集中できる。ネットで遊ぶこともしなかった。雑談もなし。同僚はみなイヤフォンをして作業をしていたことにわりと驚く。俺は無理だ。3時から美容室でカットのため2時間退席。美容師とはブッダ・ブランドとBARFOUT!の話をした。ああ我が青春の90年代。ある種の30代にとって鉄板ネタ。ふたたび職場にもどって作業のつづき。集中力は9時頃まで持続した。それから同僚と2時間の雑談。2時就寝。

この日、働いた分の振替休日で福岡へいこうと思う。

2012/05/25

鞄にいれていた水筒をこぼす。中身はコーヒー。黒いカバンでよかった。職場の昼休み、銀行へいくついでにたちよった店でイチゴを買った。1パック250円なら買うでしょ。おおきに。ちいさな個人商店で買い物をするときには、お店の人につられて「おおきに」といってしまう。

バターにつかったナイフでイチゴジャムをかきまぜることを家では禁止されたが、祖母はいつも気にせずそうしていて美味しそうに見えた。六つ切りにしたトマトは皮をむいておくこと、ハムは厚切り、コーンポタージュは高島屋でうってるジェントリースープ。それは祖母の家でのいつもの決まりだった。

他部署のトイレに自己啓発文が貼られているのを見つける。いい気分はしない。

2012/05/24

はぁしんど。といいそうになるのを思いとどまって、はぁしんしんとかつぶやく深夜二時。きょうも長い一日だった。

朝はいつもより早起きして職場の健康診断。身長体重に変化はなく、視力は両目とも1.5あった。その他項目も良好。理想的な数値に優越感をいだくが、まだ若いのだし異常がなくて当たり前か。ただ、尿検査にだけはひっかかってしまった。微量のタンパク質が検出されたという。看護師に「疲れているだとか、睡眠が足りていないということはありませんか?」と聞かれて、はっとした。同僚には「朝から抜いてきたんスか」とかいわれて苦笑したが。抜いてません。この話はそこで終わりと思ったが、「僕、夢精ってしたことないんですよね」と、どうでもいい告白もついでに聞かされる。夢精もしてません。つかれとんねんあほか。

いろいろと仕事がたてこんでいて、きょうも25時前に退社。

帰りは木屋町通りを上がり、いい感じにできあがったカップルとガールズバーの女をチラチラみながら御池下がるの五十家に向かい、岡山の友人が旅行中にした忘れ物を回収。「忘れ物をしてしまった @heonkigouです」とヘコヘコ伝えると、女性スタッフがでてきて「気づけずにすいませんでした」と、いわれて恐縮した。「とんでもございません、悪いのは忘れ物をするやつです。いやあ助かりましたすいません」と、ペコペコして、1年前の借りを返した

謎の情熱で日記を書いて27時就寝。

2012/05/21

月曜の朝の金環日食を@heonkigouと観る。めずらしいはずの怪奇現象も重なるときは重なる。彼は肉眼で、わたしは得意げにサングラスをかけて観ていた。じっとみていると目がちかちかしたが、それらしい輪を確認することが出来て満足だった。あとで調べるとどちらもアホがすることだったが。
  • 肉眼で太陽を見るのは、ダメ!
  • サングラスやゴーグルで見るのは、ダメ!
  • 黒い下敷きで見るのは、ダメ!
  • 望遠鏡や双眼鏡で見るのは、ダメ!(日食グラスと組み合わせることもダメ)
日食観察時に、絶対にやってはいけないこと!
部分日食時、約束を守らないと、視力を失う危険性もあります。日食観察の際、以上のことは絶対にやってはいけません。覚えておきましょう。
大変有難う御座いました。つぎは18年後に。

2012/05/20

城下公会堂はわたしが知っている岡山の中では最高素敵空間です。壁面にはsakanaの西脇一弘の絵が飾ってあります。

日曜日の岡山駅前。桃太郎大通りをどんぶらこと下って、岡山県立美術館までベン・シャーン クロスメディア・アーティスト――写真、絵画、グラフィック・アートを観に行く。昼食は城下公会堂でイカスミカレー。食後、店内に置いてあった中島ノブユキの新譜「カンチェラーレ」を見ていたら、地元の人に声をかけるように「こんど中島ノブユキのライブがありますよ。いつもはここでやっているんですけど、今回はルネスホールです」とスタッフの女性に教えてもらう。それから少し雑談していたら関西訛りに気付かれて、全国でもライブがあるのでこれどうぞ。とツアーのフライヤーをもらった。京都はきんせ旅館であるのか。6月5日(火)8時30分開演。

フライヤーにコメントを寄せた人は、青野賢一、青葉市子、坂本美雨、畠山美由紀と、いかにもそれらしい名前が並ぶ中、なぜか持田香織の名前があって、困惑する。
京都←→岡山は高速バスだと3時間30分。帰りはさすがにしんどかった。また、バスの発着状況は道路状況により変動します。帰りは30分の遅れ。次回は新幹線を使おうと決意。

2012/05/17

ブッダ・ブランドで始まったヒップホップブームはまだ続いていてよく聴いている。CDも10枚くらい買って自分の好みも見えてきた。ソウルやジャズに近いものがよい。いまのところロックっぽいもの、ギャングっぽいのは苦手。育ちが違いすぎるというか、圧迫感がありすぎて。ビースティー・ボーイズですらしんどい。

もういちどヒップホップを聴いてみようと思ったのは「文化系のためのヒップホップ入門」ではなくて、「音楽から解き放たれるために/原雅明」で引用されていたマックス・ローチによるこの一節だった。非欧米のワールドミュージックに魅せられた直後にヒップホップへ興味が向かったことってこういうことかもしれない。
ヒップホップに怯えている人びとは、リズムのためにリズムを聴いているのだ。ヒップホップは“サウンド”の世界に生きている。“音楽”の世界じゃない。だからとても革新的なのだ。われわれが黒人としていつも行なっているのは、白人が考えているよりももっと大きなサウンドの世界があることを示すことだ。狭い西洋の限定された音楽から外れたところに、たくさんの領域がある。ヒップホップもその一つだ。― マックス・ローチ(ファブ・ファイヴ・フレディとのインタビュー)

ああ、メロディーを愛するわたしはヒップホップどころか、リズムにすら怯えていたものだった。

2012/05/16

実家からもらった牛肉で、晩ご飯は久しぶりに牛丼をつくる。玉ねぎと土ショウガを刻んで、牛肉をしばらく炒めたあとはフライパンに赤ワインを注いでジョワー。少し余った分はラッパ飲みでさらえた。昼間の俺にはない豪快さ。夜の俺がワイルド。

通勤電車の中では行きも帰りもTwiGy al Salaam/BLUE THOUGHTを聴いていた。

2012/05/14

祖母の四十九日法要。お骨納めは、骨壷ごといれるのではなく、布袋にいれかえて納めるのだと知った。そのうち土に還るとのこと。儀式を終えたあとは、かに道楽で食事。帰りのタクシーは運転手がメーターを倒し忘れていて初乗り運賃で家までついた。

2012/05/08

iPod用につかっていた安物のイヤフォンが断線したので、しばらくSONY MDR-CD900STをつかっていたけど、でかすぎて不便というか季節的に暑いのがいやになって、友人が薦めていたSHURE SE215を買うことにした。値段はヨドバシカメラで8000円。安物の高級機。というかんじなのか、これはイヤフォンとケーブルが脱着式のため、断線してもケーブルを交換することができる。ただし値段は5000円だと。ケーブルたけえ。

SONY MDR-CD900STの音に慣れた耳だとSHURE SE215の音に色付けを感じる。さすがにこれはわかるな。

ついでにまな板も購入。

2012/05/05

天気がよくて気持のいいの日。加茂川を散歩して、川の中にも入った。そして夜にはすべての原発が停止

2012/05/03

意外なことに高野山には山ガールがたくさんいた

早起きして高野山へむかう。奈良の大和高田駅へ向かいそこから単線列車にのって橋本へ。のりつぎを間違えて時間がかかってしまったが、橋本駅を降りるともう和歌山ということだった。周りには特に何もなくて、閑散とした商店街のようなものだけがあった。笹ずしをたべてとりあえずの昼食を済ませる。少し歩くと、紀の川という大き川が見えてきて、少年たちが河原で野球をしていた。駅前には楳図かずおの「まことちゃん」像があり、なぜ突然という印象をうけたけれど、作者の出身は和歌山県伊都郡高野町とあるので高野山へ向かうこの駅とも縁があるのだろう。ひと息ついて、橋本から極楽橋へ向かい、そこからはケーブルで高野山へむかった。ケーブルにのっているのは5分くらい。特に感慨もないままあっという間についてしまったが、車窓からはシャクナゲと、歩いて高野山を目指す若い山ガールの集団を見かけた。これはちょっと意外な景色。高野山に到着して最初に思ったことは、標高約1000メートルとはいうものの、いくらか涼しいくらいで下界の様子と特に変わったところがないことだった。土産物屋がならびバスが行き交う街並みは、嵐山の渡月橋あたりと雰囲気が近い。山の上とはとても思えなかった。それでも奥の院なんかはやっぱり別格で、さすがに厳かな気持ちになる。杉の巨木の下に広がる無数の苔むした墓石群を見ていると、「ここは人間の世界ではない」という形容にも頷く。奥の院の御廟へ向かうにつれてその異世界濃度はましていき、自然と口数がすくなくなる。その中でいちばん驚いたのは、平服の一般人が手をあわせて長い念仏を唱えだしたことだった。初めて見たよそんな人。宿坊では精進料理をたべたり瞑想をした。料理はさすがにあっさり。出汁にはカツオも使わず昆布だけというから徹底している。自分の料理もあっさりしていると思いっていたけれどさすがにこれは堪えた。下山して、難波に着いたあとは焼肉屋に飛び込んだ。

行き:大和高田から徒歩でJR高田→橋本駅→登山電車(天空)→高野山
帰り:高野山→登山電車(天空)→橋本駅→難波(南海高野線)

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2012_5 高野山, a set on Flickr.

2012/05/02

退社後、同僚と話ながら駅まで歩いていたが、話がつきなくて結局歩いて帰ってしまう。1時間とすこしの深夜の散歩。

2012/05/01

フリーソウルのころに突然出会った音楽の再発盤レコードをいくつか売りに出す。ジョン・ルシアン、ミルトン・ライト、ウェルドン・アーヴァイン、ユージン・マクダニエルズあたり。これらは当時、刺激的な音楽ではあったがそこから根を生やすことはなかった。フリーソウル文脈以外の切り口で、音楽史の一部としてもういちど捉え直すことができればよかったのだけど自分にとっては何かを連想できるものではなかった。

最近はアフリカ、ナイジェリアの音楽がおもしろくてよくきいている。コンピのタイトルはMODERN HIGHLIFE,AFRO SOUNDS&NIGERIAN BLUES 1970-6。High Lifeという言葉は初耳だった。地名でもないし、音楽用語でもない。調べるでもなく記憶にだけとどめていたら、iPodでファラオ・サンダースを聴いていたとき、Goin' To Africa (Highlife)という曲を見つけた。おおジャズにもハイライフが。 調べるとすぐに出た。
1940年代から60年代にかけて「Highlife」は西アフリカのサウンドそのものだった。それはアフリカの伝統音楽にジャズ、カリプソ、ルンバ、ミリタリー音楽などが混ざったアフリカ最初のフュージョン・サウンドでもある。当時は上流階級の人々が通うクラブで演奏されていた為に「Highlife」と呼ばれていた。http://www.kamiaoki.net/ultra_032.html
ふんふん。