2011/03/24

初日は6時、2日目は7時、3日目は6時30分で退社。いまだけの特別期間であることは明らかだし大体の想像はしてる。ほんとうのことを知りたければ、他の人のタイムカードを見れば分かること。もう知ってる。それでも前のことを思えば問題ないレベルである。職場からすこし歩けば繁華街ではあるけれど、いまは遊んで帰るほどの気持ちはない。

ぼちぼち寝るかと思っていたところに前職の後任の方から電話があって「わたし もうだめだわ」といっていた。まあそうだろうな。

ホテルのパンフを見ていたら「本場気仙沼産のフカヒレを使っています」という文言がありクラクラした。

2011/03/21

思わぬ場所で 超レアな PROVOKE 全3号を見せてもらった。とにかくコントラストが強いモノクロの写真集。なんかよくわからんがすごい。高梨豊の写真は好きになった。ネットで探しまくればそのうち手に入るだろうか。家主と少し話して、「滅び行く動物/藤原英司」「イスタンブール、時はゆるやかに/澁澤幸子」をいただいて帰る。

橋本憲一/包丁一本がんばったンねん!を読了。こってりした京都弁以外に印象に残る箇所はなかった。

今日で約2ヶ月間の休みが終わる。

2011/03/20

スーパーで買い物をしていたら、子供を肩に抱え急いで歩く若い母親とすれ違った。子供の表情に異常があるようには見えなかったけれど、子供は突然茶色い液体を嘔吐し、母親の肩にこぼした。白いニットが茶色にそまる。母親は子供の口を抑えながらあわてて出口へむかっていった。

内田樹/街場の現代思想を読み終える。結婚と育児についての話が面白くていくつか付箋をはる。
男手一つで子育てをしてきた経験からきっぱりと申し上げるが、子供は「不快な隣人ナンバーワン」である。それを受け入れ、愛し切る能力がなければ、育児などというものは決して完遂せられない。(中略)結婚は快楽を保証しない。むしろ、結婚が約束するのはエンドレスの「不快」である。だが、それをクリアーした人間に「快楽」をではなく、ある「達成」を約束している。それは再生産ではない。「不快な隣人」、すなわち「他者」と共生する能力である。おそらくはそれこそが根源的な意味において人間を人間たらしめている条件なのである。(結婚という終わりなき不快について)
久しぶりにRadikoのサイトをみたら、震災による緊急事態ということで全国のラジオがきけるようになっていた。山下達郎のサンデーソングブックの鎮魂プログラムをきいた。

2011/03/19

今日で東北地方太平洋沖地震から1週間とすこし。京都ではいつもと変わらない日常がある。地震が起こった瞬間のことは東京の人のツイートで知ったけれど、こちらではほとんど揺れを感じることはなかった。その揺れがどれほどのものかとニュースサイトを見ると震源地は宮城県北部で震度7と知って、それから誰かがテレビの放送をUstreamに流しているのを観て津波の被害もしった。TLには断片的な情報が飛び交い、糸柳和法によるデマを竹熊健太郎がコメント付きRTをしているのをみた。嗚呼。地震に関する有益な情報とノイズはいつも以上にごちゃまぜで、とりあえずとりまきは沈黙すべきだろうと思い、地震以外のことを書き込むことをやめた。自分はそのあと神戸に遊びに行き、そのあと金沢へ旅行にでかけた。

金沢でも地震の影響はなかったが、ホテルのテレビや照明などがいくつか消された。

旅行から帰ったあとも、TLは地震と原発の記事でいっぱいで、被災地の事を真剣に考えたり、募金を呼びかけたり、政治やマスコミを批判したり、デマにのせられてしまったり、やみくもにRTしたり、地震の事ばかりではなく楽しい事が必要と主張したり、それは不謹慎だと糾弾したりと、人はあらゆるタイプに分類されたが、自分はどこにも属しがたく、ただ傍観してしまう。その中で、被災していない罪の意識を強く感じてしまう。という気持ちもなんとなくわかる気がした。今回の災害と比較するのも気が引けるけれど、先月となりの部屋でおきた揉め事に対する自分の心理とも似ている。

ぜんぜんまとまらないけれど、何か書いておきたかったのでとりあえず。

2011/03/15

今回の金沢旅行初日は年下の友達の家に泊めてもらった。彼が結婚して父親になってからは初めて会った。彼とは寿司をはらいっぱい食べたり、古本屋にいったり、金沢工業大学のPMCを見学したり、チャンピオンカレーを食べたりした。銭湯では二人のヤクザと遭遇した(あれは立派な刺青だった…)。近況を話していたら、ふたりとも近々あたらしい仕事につくことが発覚した。

二日目は別れた彼女と会った。ローレンスで待ち合わせた後、竪町のカフェで話して、それからいつかふたりで出かけたお店で食事をした。わたしは物思いにふけってしまい、つい甘えてはしばかれる。

三日目はその彼女と共通の友人と3人で会った。またこんな時間がもてたらいいなと思う。

21世紀美術館/Colour activity house



21世紀美術館は月曜休館です

2011/03/14

金沢工業大学 外観

金沢工業大学内 PMC(Popular Music Collection)






金沢工業大学内にあるPMCのことはいつかのレコードマップの特集で知った。世界の名盤20万枚をコレクションしている超巨大ライブラリ。一般人にも解放さていて、音楽好き、レコード好きにはたまらない場所である。PMCがつくられた理由を係の方に伺うと、授業と授業の空き時間ができてしまうといったん帰宅してしまう生徒への対策なのだそうな(…別の理由がある気がするがどうなんだ)。レコードコレクションは音楽評論家の立川直樹から寄贈されたものがベースにあり、その上に個人や放送局からの寄贈されたものがある。コレクションはいまも増え続けていて、データベースに登録するのが追いつかないという。
レコードの並びは、ジャンルとアーティスト名で区切られており、有名どころの名前が目立つ。S&G、Billy Joel、アリスとかRCサクセションとかね。下段はアルファベット順に並んでおり、そちらにはちょこちょこ「おっ」と思うものが潜んでいたが、基本的にレアなものは少ない。表に出されているのは20万枚の内1万枚なので、裏にレア盤が眠っている可能性もあるけれど、寄贈元を考えると大半は売れたものだろう。

聴きたいレコードは受付で処理をすませた後、シート型のボディソニック(超近未来的!)で勝手に聴くことが出来る。音はヘッドフォンではなくシートに備え付けられたスピーカーから出てくる。耳に接触しないので長時間きいていても負担はなく楽チン(当然音は漏れまくるが)。アンプはDENONで統一されていた。カートリッジは安価なSHUREではなくortofonだったことにこだわりを感じる。プレイヤーの操作方法はセミオートで、トーンアームを直接手で触れることはない。また、シートには音に合わせて振動するという機能もついていた。どんなところで使われていた設備なのだろう。故障した場合は学内で整備しているそうだ。さすが工業大学。

ここで聴いたのは「吉田美奈子/扉の冬」「和田アキ子/あの鐘を鳴らすのはあなた」「古井戸/オレンジ色のすけっち」。

PMC内にはコミュニティラジオのための設備も充実していた。

学校にこんな場所があったら音楽に対する姿勢も変わるだろうな。内装の雰囲気も実によい。

金沢工業大学 ラウンジ

工業大学というよりも美術大学のようなラウンジ。すべてヴィンテージのイームズ。シェルチェア、コントラクトテーブル。

2011/03/13

金沢で好きな本屋は「あうん堂」と「オヨヨ書林」

こんかいの金沢旅行では2軒の古本屋でやたらと本を買った。1軒目は、竪町商店街のオヨヨ書林(エグザエルレコードの入っているビルの一階)。ここは古い年代のもののデザイン、アート、音楽、ヴィジュアルブックの本の品揃えが特に素晴らしい。もともとは青山でお店をされていたため、デザイン事務所からの買取が多かったとのこと。店主の椅子はアーロンチェア。パソコンはiMacで、店のBGMはペトゥラ・クラーク、それからリンダ・パーハックスがなっていた。
2軒目は東山のあうん堂(写真)。ここは2度目になる。最初は金沢の友達が教えてくれて、そのときもいい店だなと思っていたけど、あいかわらずいい本しか置いてなくてうなってしまう。全体的に本のコンディションもよい。何かに特化した品揃えというわけではないけれど、いかにも本好きが好きそうな本ばかりだ。店主は植草甚一のスクラップブックも定期購読していたとのこと。「うちの本棚にはリアルタイムで全冊あったよ」と言った後、「読んでないけどね」と続けるところが素晴らしい。この店主、信頼できるッ。と、うれしくなり名刺を交換した。そして、本のこと、古本屋のこと、働き方のこと、インターネットで売るということなど、大変興味深くきかせてもらった。平野甲賀がここでトークショウと展示をしたこともあったそうだ。行きたかったなー。それから北欧へ旅行した際に手に入れたというスティグ・リンドベリの絵本も見せてもらった。特色刷りの発色が鮮やかだ。欲しいぜ。ソールバスの「HENRI'S WALK TO PARIS」は非売品としてディスプレイされていて、この本はじぶんも所有していたので、「これいいですよねー。で、いくらで買いました?僕は古本市で2000円で買いました!カヴァーはないですけどね」。と、自慢げに語った。

音楽の話はしなかったけど、お店のBGM用のCDラックにはウラジミール・シャフラノフなど澤野工房のものがいくつか。店内ではコーヒーを飲むことができるので、選んだ本をパラパラやりながら買うか買うまいかゆっくり考えることができる。こういう時間が至福である。

話の最後に、「あなた、活字は好き?」と聞かれたので、ええ好きですよDTP世代ですけど。と答えたら、あなたの名前があるか探してくるよ。ちょっと待って。といって、もらったのがこの2つ。ゴシック 24ptくらいの「平」と、明朝 12ptくらいの「本」(本は本名と関係がないけど、よほど本好きと思われたのだろう)。ありがとうございました。またきます!
  • 谷川俊太郎/夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった
  • 金子光晴/残酷と非常
  • 内田樹/知に働けば蔵が建つ
  • 田川律【台所】術・なにが男の料理だ!
  • 橋本憲一/包丁一本がんばったンねん!
  • 立木義浩/マイ・アメリカ
  • 松田哲夫/「本」に恋して
  • 藤本和子/リチャード・ブローティガン
  • 和田誠/銀座界隈ドキドキの日々
  • 原弘/原弘デザインの世紀
  • ホンマタカシ/たのしい写真(新品)
↑金沢旅行で買った本。

サンダーバードの車窓から

ローカル ルール

2011/03/12

元町穴門商店街

ジャンクショップでプルオーバーのパーカーを、乱痴気でショートパンツを買う。
viVO.VAでイイホシユミコ with 4 24 plateを買う。
ちんき堂で野本かりあが表紙のsmartgirlとMOON-LITE COCKTAILS by TERUHIKO"Flamingo"YUMURAを買う。
ハックルベリーとリズムキングスでは気になるものがあったが今日は買わず。
サルバドールでまたラスクを買う。

2011/03/11

韓国音楽を売っている店を調べていたら、MEDITATIONにいきついた。世界中の音楽を扱っているお店といったらやっぱりここか。紫竹にあったころ、サイケやアッシドフォークのレコードとCDをいくつか買った。Judee Sill、Simon Finn、Spike Drivers、Lula Côrtes E ZÉ Ramalho。Vashti Bunyanもそうだった。あのころはロックダイヴィングマガジンからでててた「ラビリンス・英国フォーク・ロックの迷宮」を熱心に読んでいて、頭がまわっていた。古い町屋を改装したお店自体の雰囲気もよかったな。

数年前に荒神口あたりへ移転してからは疎遠になっていたけれど、久しぶりにお店の商品をみていると相変わらず見たことのない音楽がいっぱいで、やっぱりおもしろい。商品に値段がついていないのも変わらず。目当ての김정미とLee Jang HeeのCDは、値段を店主にきいた上で3枚買った。ほかに申重鉉がらみのものはありますか?という質問にも的確に答えてくれたり、Kim Jung Mi(김정미) / Nowのアナログレコードは夏にアメリカから発売されるという話がきけた。そのアルバムはぜひ欲しいのでまたこようと思う。

それからワークショップレコードに立ち寄り、韓国旅行の土産話をしたり、「Lマガで堀部篤史が書いてるコラムに掲載されたよ」という話を聞いたりした。おもしろいなこれ。俺も何度かレコード屋で注意されたことがあります。

2011/03/10

韓国旅行の次はドイツ・フランス旅行の予定であったが、その間に次の仕事が決まってしまい、旅行はキャンセルすることにした。手数料が3万ほどかかってしまうのは痛いけれど、それでもまあいいかという気持ちが勝った。あてもなくふらふらし続ける時間は短いほうがいい。ただ、仕事がそうそうに決まって万々歳か。といわれれば、そうでもないのは、給与面での待遇が思っていたよりも悪く、ハァ…というところがあるからである。

だからといって、もっとよいところをという自信や意欲があるわけでもなかった。やりたいことなどなにもない。ほこれることなどなにもない。京都から出たいなという希望はあったが、結局またしても京都である。今度の職場は五条です。

離職から2ヶ月。精神的・経済的にはまだ余裕があったので、もう少し遊んでいたい気持ちもあったがそれは贅沢いうものか。働き始めるのは連休明けの3.22から。それまでいましかできない遊び方をしたい。とりあえず金沢にはいこうと思う。

真昼間にビールを飲みながら昨日作った鯵の南蛮漬けを食べる。それは美味しい。

2011/03/09

韓国のレコードは結局5枚だけ買えた

韓国のレコードは結局5枚しか買えなかった。会賢の地下で買った3枚と、中古オーディオ店で1枚、問屋の屋上のレコード屋で1枚。ソウルまでいっても韓国の60~70'sレコードの数はそれほど多くなくて、あったとしても80年代以降のものだった。大半はUS盤で、それはそれで楽しめる品揃えだったけれど、ここでアメリカのレコードを買うのもなあ。と、気持ちをセーブし、合計10枚におさえた。手に入れた韓国のレコードは大変興味深く、早くもまた韓国にいきたい。と考えている。

今回の旅行で、韓国語がまったくわからなくても旅の日常会話集をもっていれば、なんとか飲み食いと買い物、タクシーでの移動はできる。という実績をつくれたのはよかった。韓国の人は「一緒に写真を撮ろう」というと肩に手を回してきたり、腕にしがみついてきたりと、やたらノリがよかったのも印象に残る(ソースは飲食店のばあさんと地下鉄のおっちゃんとレコード屋のねえちゃん)。今回の旅行ではディープなソウルを見ようとしたところがあったのであまり触れられなかったが、次回は弘大あたりの洒落た街も歩いてみたい。

2011/03/07

119番は、韓国においても消防機関に提供される緊急通報用電話番号である

会賢商店街では日本人相手の店がいくつか目についた

一度だけ、いかにも日本人観光客を相手にしている韓国海苔の店に入った。店員は聞いてもいないのにあれこれ日本語で喋りかけてくる。「韓国は初めてか?」「誰と来ているのか?」「何をしに来たのか?」わかったから、韓国海苔はひとつ買うから黙ってくれ。と、軽くいらつきながら支払いを済ませたら、「チップはいらないからね!」と、さらにうるさい。ああ早く店を出たい。そうおもっていたら「あなたは韓国人みたいだね。在日なの?」といわれて、はっとする。こんなにフランクにその言葉を聞いたのは初めてだった。

2011/03/06

地上みたいにみえるけど、ここは会賢地下商街


会賢地下商街もとにかくものが多い。ここで買い物をしているのは主におばちゃん。クランベリーが2キロくらいはいった袋を買ったら「あんた、ちょっとまち。いろいろおまけしたるさかい」と、他の乾き物をスコップで詰め合わせてくれた。乾き物に関しては韓国も日本も同じ味がした。

広蔵市場に観光名所としての俗っぽさなどなかった

とにかく大量。

眠らない街 明洞

明洞の賑わいを日本のどこかと比較するならもう東京しか浮かばない。このあたりは看板も英語表記が多く、ここがどこなのかよくわからなくなってくる。

ソウルレコ_ドにアナログ盤はありません

夜の街をふらふらと歩いていたら偶然見つけたソウルレコードというお店。うれしくなってレコード買いまくったるで〜。と勇んだが、アナログレコードの取り扱いはなかった。店のスタッフは日本語が上手で「60〜70年代の韓国の音楽を探している」と伝えると、「店にあるのは들국화(野菊)くらいかな。これは有名だよ」と教わり買う。それから少女時代の2ndアルバムも。このアルバムはいったんリリースされた後、収録曲とジャケットとパッケージを変えて再発売されており、どちらにするかかなり迷ったが結局両方買ってしまった。いつのまにか熱心な少女時代のファンになっている自分に驚くが、13000ウォンだったらいいじゃないか。韓国はCDが安い。日本のCDコーナーには安室奈美恵と嵐がありました。

2011/03/05

昔ながらの雰囲気を味わえる仁寺洞ではなかった

ソウルは想像以上に都会だったので、昔ながらの雰囲気を探して仁寺洞に出かけたが、その面影はなかった。

仁寺洞駅の近くにはタプコル公園があり、そこだけは静かな空気が流れていた。たまたま行き着いたこの公園は、日本統治時代の朝鮮で起こった1919年3月1日に起こった「三・一独立運動」の発祥地となった場所だそうで、敷地内には独立宣言書が読まれた八角亭と、独立宣言書のモニュメントがある。ショウアップされたところはまったくなく、なんの場所なのか分からないくらい地味ではあるが、日本語でも書かれた説明文を読むと、この広場自体が持つ歴史に触れることができた。韓国人にとって集合的記憶をもつ場所。今回の旅行で唯一訪れた観光名所。

ソウルの地下鉄駅員のおっちゃんは妙にファンキー

地下鉄の路線図を前にして、俺はいったいどこにいるのだ…と途方にくれたので駅員に助けを求めた。韓国語での説明はまったく意味がわからなかったが、身振り手振りでとても丁寧に教えていただき理解できた。礼をいったあと、彼はカメラをぶら下げているわたしを見て「きみはカメラマンか?」というので「ネー」と話を合わせると「一緒に撮ろう!」といわれて一眼レフで撮った2ショット。ズームのままになっていたので近すぎるけどそれもまたよし。

わたしは韓国語がわかりません/ハングゴヌンモルンニダ

タクシーにのって、漢江を見にいこうとしたら、発音が悪かったせいで、違うところに連れて行かれてしまった。ここはどこだ。歩いても歩いても川は見えてこない。あたりは閑散とした住宅街といったところ。しかし、このあたりはハングル文字がなければ、日本のそれとなんらかわらない。歩いている人の顔や身なりも見分けがつかない。現にうろうろ歩いていたら地元の人に韓国語で話しかけられてしまった。「ハングゴヌンモルンニダ」を覚えておいたので難なくやりすごすことができたけれど、このことは旅行中2度もあったのだから日本人旅行者にとって「ハングゴヌンモルンニダ」は必須といえよう。逆に日本を訪れる韓国人旅行者も同じような体験をしているのだろうな。ワタシ ニホンゴ ワカリーマセン。

地下鉄も便利ではあるけれど、タクシーはもっと便利

ソウルでの移動はタクシーがオススメ!というガイドブックにしたがって、タクシーにも乗ってみた。必要な言葉は「アニョハセヨ」「目的地+カジュカセヨ」「マウヤケソ」「カムサハムニダ」「アンニョンヒケセヨ」だけでスムーズに利用出来る。目的地の発音だけが注意するところだろうか。いちどだけ意図と違うところに行ってしまった。地図を見せて伝えれば完璧だと思う。初乗り料金は2500ウォンとめちゃ安いので旅行中はタクシーにのりまくっていた。車窓から景色を見ていると、無茶な積載をしたバイクが目に付く。あと車線変更が強引でクラクションをならすのはザラ。片側4車線があってもおいつかないくらい交通量も多い。タクシーは韓国語オンリーの銀タクと、日本語もいける黒タク(ちょっと高い)があって、黒タクにも一度のってみたが片言よりはしゃべれるくらいのものだった。

なんとか定食。いろいろついて6000ウォン

韓国で最初に入ったのは東大門のディープなお店。メニューはハングルでしか書いてないので出てくるまで何がくるか分からなかった。日本語ももちろん通じない。鍋料理はとにかく辛く、キムチは酸っぱく、日本人むけのものではない味覚に海外旅行の気分が高まった。こんなに辛い獅子唐ははじめて。鍋の中身は豆腐のように柔らかいレバーのと、骨付きの豚肉がどーんとはいったもの。
ヒイヒイいいながらなんとか完食した後に、片言の韓国語で「一緒に写真を撮りたい」と伝えると、けっこうノリがよくてむこうから肩に手を回してきたのにはちょいびっくりした。お店のお婆さんは少しだけ日本語も知っていた。


ソウルは地下街も地下鉄もかなり強力

金浦空港からマイクロバスにのってホテルのチェックインを済ませたあとは、地下鉄にのって東大門に向かう。ソウルの地下鉄は大変入り組んでおり、どこへでもいけそうなのは頼もしいが、なにしろハングルが読めないので、いま自分がどこにいるのかを把握するのに苦労した。料金はたいてい1000ウォンですむ。券売機で1500ウォンをいれてでてくる乗車カードは保証金込みのもので、改札を抜けた後でカードを精算機にいれると保証金の500ウォン返ってくるというシステム。なれるとスムーズに乗り降りできたが、最初に乗ったときは自分だけ改札を抜けることができずうろたえた。駅員を呼ぶボタンを押してもだれもきそうになかったので、隙をみはからって柵を乗り越えたのは内緒の話だ。

9年ぶりの海外旅行/韓国・ソウル二泊三日

少女時代が面白かったので、韓国に興味を持ち、ソウルいってきました。いちばんの目的は韓国の古いレコードを買うこと。それから韓国の大衆料理を食べること。海外旅行は2002年に会社を辞めてロサンゼルスに行った以来。あのときは初めての海外旅行ということもあって、いろいろ気負っていたところもあったけれど、韓国は近いし時差もないし旅費も安いし気楽だ。この時期(3月)、添乗員なしのツアーだとホテル代込みで3.5万ほどだった。大阪国際空港/大阪 発 11:45 → キムポ(金浦)国際空港/ソウル 着 13:35