2010/12/27

メドがついたので、職場にもちこんでいた私物のアーロンチェアを台車に乗せて持ち帰る。結局のところ半年間で終わり。短い間ではあったが強烈な体験だった。さて次。

2010/12/23

購読しているだけでめったに読まないJMMの記事を読んでいた。[JMM615Ex2]「小澤征爾カーネギーホール~サイトウ・キネン・オーケストラと渾身のコンサート」NEW YORK, 喧噪と静寂。の分。その中には内田光子の名前があり、ちょっと別格のような扱いで紹介されていた。最初に彼女の名前を知ったのは村上春樹の「意味がなければスイングはない」を読んで。そして彼女のレコードに初めてであったのは、東京の水道橋にあるクラシック専門店だった。結構な高値がついていて、とても買えるようなものではなかったところにますます興味がわいた。あのあたりには古い印刷所や製本所が点在していて、昭和の匂いがしたのを覚えている。この雰囲気はよいなあと思いながらむかった会社の面接は落ちた。2時間ほどかけて実技と面接をして、会社の実績や面接官との会話から一方的に好感をいだいていたのだけど。思い出に浸るついでに転職会議というサイトで、その会社を検索してみたら、うーんと唸ってしまうようなことが書いてあり、案の定いまも求人をだしていた。あれは今年始めのことだから年中出しているのかな。そんなふうに1年を振り返り、また来年を睨む今日。

2010/12/22

代休がとれたので、区役所で税金関係のことの相談をしたり国民健康保険の脱退の手続きをしたり(社会保険に乗り換えたら自分で手続をしないといけないとは知らなかった。ひとこといってくれよ!)。あと、今年の年末調整で控除にできる分の書類をいくつか提出し忘れたのだが、個人でも簡単にできるといわれたのでやってみようと思う。これからどういう働き方をするかもわからないし。とにかく、なんだかよくわからないまま不安だった疑問は解消できてすっきりした。不要な支払い用紙はすべてゴミ箱に捨てて、未払いだった税金10万円分はすべてコンビニで払う。処理を待っている間、レジ横に置かれたKAGEROUを初めて目にする。
夕方、前の職場にたちよって、家族用の年賀状素材をスキャン。上司と近況などを話す。それからスーパーによって5000円分の買い物。カードに15000円をチャージ。帰宅後、プリントパックに出稿したデータに問題がなかったかを確認。夕方になってもステータスはデータチェックだったが、夜になってようやく印刷準備に変わった。この間24時間。休日でも落ち着けないものがある。

2010/12/19

休日は恒例の10時間睡眠。のつもりが、配達員のドアフォンで起こされる。届いたのはブライアン・ウィルソンの新譜 Brian Wilson Reimagines Gershwin。見開きに使われているブライアンの表情がよい。着替えてすぐ、北山のコム トゥジュールでケーキを買って、神戸の友人宅へ。2人目の子供と初対面を交わしたり、ゆらゆら帝国のDVDを貸したり、小沢健二のうさぎ!を借りたり。カレーごちそうさまでした。
続いて1年ぶりくらいに会う友達と合流し、3人で大阪市立東洋陶磁美術館でやってるルーシー・リー展を観て、光のルネッサンスをひやかす。屋台のホットワインを飲んで軽くふらふらになりながら右のような写真を撮った。夜はお初天神あたりでさらに酒を飲みながら今年とっておきのネタをぶちまけあい大いにしゃべる。どいつもこいつもいいネタもってるじゃねえかと圧倒されながら、わたしも負けない。ひとりが口火を切ると乗せられるように「じゃあわたしもいうけど〜」と連鎖していく様子がおかしかった。
grafへ向かう道すがら、今年度のベストアルバムはなんでしたか。とか話していたら、七尾旅人とトクマルシューゴと相対性理論の名前があがった。そこに神聖かまってちゃんを加えると、いかにもな並びになるだろうか。年間ベストの話はそんなに広がらなかったのだけど、自分の周りでは話題になるような新譜が少なかった気がする。
ライブについてだったらいろいろ盛り上がれる話があった。アグスティン・ペレイラ・ルセーナ、エルメート・パスコアル、カルロス・アギーレ、そしてそして小沢健二。そういうの。

2010/12/04

夜の京都大学

夜は後輩とその彼女と百万遍の屯風で食事。初めて入ったお店ではあるが、壁にブリジット・セント・ジョンの来日ライブのチラシが貼りつけてあったことに納得するようなところ。オーナーのとんぺいさんは、ほんやら洞で働いていたという話だ。伝説の京都といわれるあの例の匂いはここにも漂っている。高野「まほろば」のこともふと思い出した。
昼頃に起きて朝食をすませた後、コム トゥジュールでケーキを買って前の職場へ。上司と後輩と会ってお互いの近況報告。それから京都大学医学部附属病院へ向かい、肺の手術をしたばかりの上司のお見舞い。まだ話をしたりすることが負担になるような状態だったらどうしようかと心配もしたが、会ってみれば元気にしゃべりまくりで安心する。ロビーのドトールコーヒーでしゃべっていたせいもあって、普段とかわりないほどだったし、別の見舞い客がわれわれの目の前を通りすぎてしまったとき、名前を呼びとめて突然走りだしたときには驚いてしまった。体力はそれほどないのだから、気力が身体を支えているのだろうか。
名前を呼び止めたその人のことは、自分も知っていたが、対面するのは初めてで、ああ、この人がそうなのかと、ひとり感慨深い気分でいた。断片的な情報が紐付けられていった。
病室をでると夕焼けがきれいでふたり同時にカメラを無言で取り出したのには笑った。

2010/11/28

冬はある程度寒さを感じるくらいでちょうどいい。顔は冷たい水で洗え!。みたいな意識がどこかにあって、タイツをはいてみたいなんて気持ちはまったくなかったんですけど、そういう根拠のない硬くなさもアレだなと、試しにヒートテックのタイツをはいてみたらちゃくちゃ快適で参りましたよもう。通気性もいいし自転車にのっていても蒸れることはない。この冬はタイツを愛用してすごすし、顔も皿もお湯で洗うし、もうなんでもかんでも合理的にいきたいです。

2010/11/27

出社から21時間後に出稿。あまり詳しく書きたくはないが、とりあえず指先がつめたくなって頭がはたらかなくて体が震える。身体と精神の限界というものに最も近づいた日。それでも達成感や充実感があればよいが、できあがったものはひどいのだから報われない。

明け方帰宅。昼過ぎに起床。うとうとしていたらドアフォンが鳴り、ゆらゆら帝国のライブボックスが届く。

2010/11/21

昼ごはんをつくるのが面倒で、きのう買った鮃の刺身だけをたべる。贅沢なのか質素なのか。中途半端にお腹を満たしたあとは、堀川五条増田屋ビルにあるギャラリーアンテナにたちよった。店番をしていた22歳の女の子に、「たしか25だっけ?」とまた余計なことを言ってしまったのが今になって悔やまれる。さいきんかわいくなったね。とここでまったく無意味な弁解をしておきたい。同じビルにある書肆砂の書にも立ち寄ったが今日は何も買わず。
麩屋町三条のアートロックでは、12月に来日するブリジットセントジョンのチケットを買う。それからやはりお腹がへったので麩屋町二条のブレッドルームで菓子パンをひとつだけ買い、店先で食べる。ブルーベリーチーズのパイは210円。ちょっと高いだけのことはあっておいしい。

夕食を終えた後、ずっと積ん読にしていた「麻生太郎/とてつもない日本」を読みおえる。下の一節に出会えたことが収穫である。
私が大ファンの俳優、高倉健さんも筑豊出身だ。髪型その他が違うので誰も気付かないだろうが、品川にある健さん行きつけの床屋さんにも通っているくらいである。(104頁)

2010/11/20

なんだかんだいって、めちゃくちゃな生活にも慣れ始めているが、これはいいようでよくない。適応してはいけない。違和感を持ち続けなければ。

休日の今日は先週と同じく10時間睡眠。昼間から夕方をだらだら過ごしたあとからは、高島屋で買い物。有次でペティナイフを買い、食料品売場では近所のスーパーでは見かけない金時人参や、赤い大根、ミルクジャム、松の実、それから刺身をいくつか。大荷物を背負って帰宅した後は、東大路丸太町のエルラティーノで後輩と食事。ラム酒とメキシコ料理と内定祝い。「勤め先のサイトみたけど、年中求人募集してるね!ブラック企業の内定おめでとう!」と脅したり、こちらの近況を漏らしたりして、大いに騒いだ。
この日は疲れていたせいか、「2杯しか飲んでいないのにひどく酔う」というと、「いや2杯じゃなくて2杯目ですし!」と細かいところをつっこまれたのが妙に印象に残る。メキシコ料理はおいしかった。しかも安いし最高。店を出た後、川端丸太町のetwでコーヒーを飲んで、2時帰宅、3時就寝。ふりかえってみると、6時間しゃべり続けていたのか。
酒をのみながらした話を改めて書くことはできないな。

2010/11/07

市役所の近くの美容室で髪を切ってもらったあとは、神戸までいって買い物。どこの店でもとにかくしゃべりまくる俺。買い物よりもそっちのほうが面白かったりして。

今日の収穫。100000tで東浩紀/動物化するポストモダン、布谷文夫/悲しき夏バテ。リズムキングスではラティーナのバックナンバーが100円だったので3冊抜く。ジョアン・ジルベルトは2004年10月2日大阪のライブで40分の瞑想をしたこと、ジョアン・ジルベルトはカエターノ・ヴェローゾのことをカエーと呼ぶこと、アグスティンの最初のアルバム Agustin Pereyra Lucena はアルゼンチンだけでなく外国でもヒットしたこと、プエルトス・デ・アルテルナティーバは録音が終了したから2年後に発売されたことなどを知る。

カート・ヴォネガット/国のない男を読み終える。本を読み切るのが久しぶり。

2010/11/03

朝、めざましが鳴るのを止めて、また布団に入りうとうとしていたら、さらに携帯が鳴った。メールの着信。こんな時間に誰かと思ったら、福岡のNAIFで出会った光武さんからだった。「シャツのデザインと縫製をしている光武です〜営業で関西に来てるんですが、どっかいい店ないですか〜」とのこと。3ヶ月前の福岡・長崎旅行のことを思い出しながら、いくつかお店をピックアップし、そのとき買った小さい花柄のシャツに着替えて職場へ出る。

今日は祝日の休日だったにもかかわらず、すでに営業が2人きていたし、夕方から夜にかけては客先からもいくつかメールが届いた。表向きはお互い休みなのだが、あっちもこっちもそういうことか。速攻返信を打って非言語コミュニケーションを図ると、おもしろがってくれたのか返事はすぐにきた。

帰宅後、2ヶ月前に申請した就業促進手当の支給額決定書を受け取る。振込日と金額を確認。2週間後に189,117円が入金される予定。

2010/10/31

ようやく日曜日。平日の倍の時間寝た。そとは雨が降っていて暗かった。浴室で乾燥させていた洗濯物を取り込み、久しぶりにまともな朝食をつくろうと、ベーコンの封を開けたが、すでに賞味期限をすぎていた。でも気にしない。ベーコンと目玉焼き、トースト、ヨーグルト、コーヒー。食後にクッキーをかじる。CDのトレイにこのあいだ買った krysztof komeda の編集盤をのせてぼんやり聴く。うすぐらい休日とポーリッシュ・ジャズは大変相性がよろしく昼間はそのままぼんやりすごし、夕方からはTwitterで知り合った@worikkis に会いに大阪へ。初対面の彼は「いやー僕、ネットで知り合った人と会うの、初めてです」と初々しかったが、すぐに男特有のアホな話しかしなくなった。もともと今日出会うこと自体がそういう文脈の上にあったので、予定通りではあったが、ここまでいろいろ興味深い話を聞かせていただけるとは思いませんでした敬礼。アホな話をしつつもニュートロンに立ち寄ったあとはベルリンブックスで3冊購入。作法無作法/吉田健一、考える人/坪内祐三、国のない男/カート・ヴォネガット。カート・ヴォネガットのことは少し前までカートヴォガネットと間違えて覚えていたのだが、@worikkis も「あ、ヴォガネット買ったんだ」といっていて笑った。

2010/10/24

朝からひたすらTwitterであそんで、昼からアバンギルドへ。『アウトサイダーズ・レコード・フェア』に立ち寄る。このイベントのことは出品者でもあるBEAT BOP RECORDS店主のツイートで知った。そのブースで買ったもの。HERBIE HANCOCK / MY POINT OF VIEW、LOVE COMMITTEE / LAW & ORDER、PETER GABRIEL / PETER GABRIEL2、PUBLIC ENEMY / IT TAKES A NATION OF MILLIONS TO HOLD US BACK。それからCDでKRZYSZTOF KOMEDA TRIO / POLISH JAZZ vol.3。
レコードを漁っている途中、突然声をかけられて、誰かと思ったら10万トンのカジさんだった。

夕方からは東大谷墓地まで墓参り。そのあと家族と智恵光院の居酒屋で食事をして、それから徳正寺で友人の父親、ヨシダミノルさんのお通夜。スーツに着替えるタイミングがなかったので平服のままご焼香だけすませる。

2010/10/23

家からスーパーまでを2往復し、一週間分の食材を買い込む。夜になって外に出ると、細い路地の交差点の真ん中で一人空をみあげている人がいて、危ない人でしょうか…と遠目にみていたが、目線を追うとまっすぐに伸びた細い飛行機雲の真裏に満月が浮かんでいた。

三条通りを西にいった韓国料理屋で食事。疲れていたせいか、ビール一杯でひどく酔ってしまう。「わたしたちは同じ職業についているけれど、それをきっかけに知り合ったわけでもないし、こうして会っていてもそういう話をしないところがなんかいいよね」という話に、あーそうそう、それあるねーと答える。
2軒目は六角通りのbar K-yaへ。えらいかっこいいところだったが、値段もかっこよかった。

帰宅途中、明らかにゲイとわかるカップルがいて、しばらく見ていたら、突然ディープなキッスをはじめたッス。

2010/10/20

1961年のクンパルシータ KYOTO JAPAN

LIFE 1961年11月号。KYOTO SOUL OF JAPAN という特集記事のこの写真だけ欲しくて買った。京都のカフェ好きの人なら、あっ!といいたくなる名前がある。
いまはもうないクンパルシータ。

2010/10/15

昼間に聴いていたくるりの歌詞が耳に残っていた。「さっきは一瞬だったけれど 僕たちはうまくいきそうだった」というところ。さてはきみ恋しちゃってるね。と思わせてそうではない。それはまるで営業と制作との会話のようだと思ったのだ。いままで同業種とばかり接していたからそのへんのギャップは日々強く感じるところ。言葉や感覚がなかなか共有できない。ほんの一瞬だけ。ほんの一部だけ。

今月はなんかしらんけどまだまだ金があるぞ!と思ってたら家賃を払ってなかった。ポストに催促の紙切れが。これはいかんと思い、急いで支払いの手続きをはじめたが、ふと、このさい来月の分もはらったれ!と思いつき、二ヶ月分の家賃を払った。遅れたぶんだけ支払っていたらすいませんという気持ちだったかもしれないが、前倒しで支払うと転じて優雅な気分である。

2010/10/13

John Rawlings


ジョン・ローリングスを特集した冊子。表紙の写真は野本かりあ/カアリイのフォトブックを連想させる。

2010/10/12

深い傷をつけてしまったJim O'Rourk/VisiterがプチプチうるさいのでCDで買いなおす。amazonで1000円以下だった。夕方から外出。ユニクロでヒートテックと下着を買う。黒いスパッツも。これがあれば破れたジーンズをはいていてもいいか。メンズの下着売り場では男ばかりでなく、主婦の姿もめだっていて、下着を自分で選べない旦那と奥さんとのいろいろなことが透けて見えてしまった。恵文社ではJohn Rawlingsの写真集を初めてみた。値段は1万円。かなり良いが棚に戻す。帰宅後、料理本をぱらぱらとめくっていると、栗原はるみが「かぼちゃスープをつくるときは玉ねぎではなく長ネギをつかうのがポイント」といっていて興味をひく。

2010/10/10

朝、レンタル屋でCDをいくつか。Wilco / st、Jim O'ROURKE, SAKATA AKIRA,YOSHIMIO / Hagyou、 須永辰緒の夜ジャズ、Radiohead/KID A、ポートレイト・イン・ジャズ/和田誠・村上春樹セレクション。5枚借りたから全部で1000円。キリンジとくるりの新譜はみあたらなかった。昼からは6歳年下の後輩を家によび、だらだらすごす。お手製レザーマウスパットをもらう。わたしはバーミックスでジュース作りを披露する。夜は「かね井」でざるそばを。ここの客は皆ほどよいボリュームで話をしていて、満席だというのにやかましくない。手入れの行き届いた町屋は人にほどよい緊張感を与えるのだった。しかしざるそば一枚では腹が減る。夜、もういちどバーミックスでジュースをつくる。キウイ+ハチミツ+ペルノー+ソーダー。

2010/09/29

ART BEARS / THE WORLD AS IT IS TODAY はなんど聴いても辛い。暗い。暗すぎる。これ、どこがいいの?と思っていたら、なんということでしょう。これ、45回転なんですか!!!!!
このアルバムは45回転LPとして出されたが、そのことがジャケにも盤にも記載されておらず(実はブックレットの最初の所に小さく書かれているのを後から発見した)、最初33回転で聴いてしまったところ、ヴォーカルが男なのでフレッド・フリスが歌っているのかと思ったが、2曲目も男なのはおかしいと思い、回転数を変えたらいきなりダグマーの鮮烈なヴォーカルが飛び出してきて驚いた、というのは私個人だけの体験ではないらしい。http://homepage2.nifty.com/everydayvoyage/music/henrycow/henrycow.html
というのは私個人だけの体験ではないらしい。最高。

2010/09/28

5枚買ったらレコード半額!という強烈なセールが100000tで行われているので、レコードをたくさん買っている。定番的なものというよりは、あんまり普段きかないようなもの。アヴァンギャルドなもの。ブリジット・フォンテーヌとアレスキ、ジョン・コルトレーン/サンシップ、ファラオサンダース/ウィズダム・スルー・ミュージック、アートベアーズ/ザ・ワールド・アズ・イット・トゥデイ、フレッド・フリス・ヘンリー・カイザー・ウィズ・フレンズ・ライク・ジーズ、プラスティック・オノバンド/ライヴ・ピース・イン・トロント 1969)、ソニックユース/バッド・ムーン・ライジング、クラフトワーク/エレクトリック・カフェ。
すべてはセールと環境の変化のせい。

2010/09/25

ホームセンターで買ったカーテンは返品し、無印で買い直す。VIGORE で自転車のハンドルのグリップを新調。夜は外食。サングリアがおいしかった。シェリー酒があんなに強い酒だとは知らなかった。

2010/09/23

前の会社でインターンにきていた学生から突然メールがあり、久しぶりに会って話でもしようかということになった。待ち合わせは元田中ZANPANO。だったが、当日休み、というわけで学士堂へ向かうがさらに休みで、結局京大前の進々堂に落ち着いた(祝日って意外と休みが多いのだろうか)。話というのはやはり近況と就職活動についてで、大変厳しい状況でござる。という、やっぱりそうですかばなしをきいたり、彼女は5歳年下で二十歳だけど別に可愛くないという話をきいた。どちらもリアクションをとるのが難しく、自分が答えられることなど何もなかったので、履歴書は手書きじゃなくてもいいよ。とだけ答えて、それ以外はただ相槌をうつにとどめるつもりだったが、それではつまらないので、いま求人がでているのは全部ブラック企業だからどこはいっても一緒だよ!と脅してやった。
コーヒーを飲みほしたあとは、東大路丸太町のジャズ喫茶YAMATOYAへ。それからかもがわカフェにいこうとしたら、こちらもまたまた休み。出町の居酒屋で食事して解散。

2010/09/20

月曜日の祝日。敬老の日は三田屋で祖母、母、妹と食事。出かける前に、下鴨中通と北大路の交差点にある花屋で花束を買う。それから宝泉でしぼり豆をプレゼント用と自分用にひとつづつ。花束は2000円のものにしてはやけに小さく残念だった。もうここを使うのはやめようか。前はこんなにケチ臭くなかったのに。現地に向かう途中、妹から待ち合わせの時間に遅れると連絡が入ったので、北白川の古道具屋で時間をつぶすしオスカル・カストロ・ネヴィスが参加した本田俊之レコードを300円で買う。三田屋での食事で一番印象にのこったのはやはりあのハムに使った人参のドレッシング。祖母はいつものように肉ばかりたべて、野菜を残す。あと魚も嫌いだったり。昔の人はなんでも食べたというのは幻想だと思っている。食後、ホームセンターで生活雑貨をちょこちょこ買ってもらう。

2010/09/15

印刷所の営業マンから「最近は PDF x-1a での入稿が増えました」という話をきいて、ほんまかいな?と思いながらも一度やってみたかったので、友達に相談したり、ネットで調べたりしながらテスト用に PDF x-1aでデータを作成してみた。つくりかたは思いのほか簡単で、仕上がりサイズをアートボードと同じにしたら、この手順をふめばいいだけ。チェックに出したデータもあっさり問題なしの返事がもらえたので、今後は使っていきたい。
メリットは配置画像を含めたすべてが1ファイルにまとまること。リンク切れや画像抜けの心配がなくなること。RGB画像がまざっていても書き出しをCMYKにしておけばすべて変換してくれること。印刷所の作業も楽になるらしく、多少値引きもしてくれるという。ただトンボの外にあるオブジェクトは表示されないので、折罫をいれたりするのは強引なやり方をしないかぎり無理。このへんは相談しながらになるのかな。Twitterで吉田印刷所の方からいろいろ教えてもらえたのもありがたかった。

2010/09/14

昼休みはいったん家に帰宅している。どうも弁当をつくって食べるという雰囲気ではない。10分で帰宅して、10分で昼ごはんを作って、10分で食べて、 10分休憩して、10分かけてまた戻る。さいきんスポーツジムへいくことはできなくなってしまったが、毎日40分間は自転車を漕ぎ続けているのでまあ運動してないこともないか。
今日はいつもより15分昼休みが少なかったので、ものすごい勢いでミートスパゲティとかぼちゃのスープとバゲットを食べた。音をたてないようにちんたら食べている場合ではないので、おもいっきり音をたててズビズバ。スープをのむのもスプーンすら使わない。直接口をつけてんぐんぐ。バゲットの破片が歯茎にささる。い”たいー。

2010/09/11

さいきんのことを話すとぐちっぽくなってしまう。美容室でも少し。「ヒマよりいいですよ」などと声をかけられるような。もうひとつのお店では同調のノリ。どこも似たようなものか。

ボタン型電池を2種購入。クッキングタイマーと自転車のバックライトが復活。

自宅の椅子を台車にのっけて地下鉄に乗り職場にもちこむ。

ART BEARS / Winter Songs を買う。

はちはちの横田さんに賀茂川という居酒屋を教えてもらう。

2010/09/10

平日の夜の、学生街の交差点の書店の前で待ち合わせをしていたら、車から若い女が降りてきて雑誌を万引きしていった。その動作があまりにも自然だったので、それを見ていた自分をふくむ何人かはただ視線を追いかけるだけだった。見事である。慌てた素振りがまったくないところを見ると常習犯だろうな。車の中では絵に書いたようなチンピラが待機していた。彼女はお約束のグレーのスウェットパンツ、彼は亀田興毅風のサングラス。店主はまったく気づいていなかった。

2010/09/09

ラジオで森友嵐士の新曲を聴いた。タイトルは「祈り」。T-BOLAN解散後の森友嵐士についてはまったくしらなくて、亀田興毅に呼び出されるまで記憶からも消えていたけれど、裏ではこんな苦労があったとかで、へえーと思うが、それ以上に興味はわかない。

2010/09/03

2色の画像を2色分解用に作り替える作業に結構な時間をとられる。4色の写真を2色に振り分ける作業だともっと大変だろうな。色数を抑えることで印刷コストは下げるという発想には、人件費のことはまったく無視されている。そんなことを印刷所の営業に話していたら、「3色刷なんかもありますよ。あれは呉服屋の仕事でしたね」という。着物でそんなのありですかという驚き。現場には熟練の人がいるのかと思いきや、人員の入れ替わりが激しいため、そこまでの経験値はないと思います。という返事にも。「すべてが狂ってますね!」とわたしが大笑をすると、営業マンも苦笑していた。

昼間、携帯に着信があり、親しい人の結婚というか入籍を知る。

2010/09/01

今晩は明日の食事にそなえて、買ったばかりのバーミックスでかぼちゃスープをつくる。いままでボウルで濾していたのがばからしいくらい簡単になめらかなスープができた。材料はもっと荒く切ってもよさそう。
冷凍しておいた牛肉は冷蔵に移動して解凍する。昼は牛丼の予定。

2010/08/31

環境が変わった影響で、聴いていたい音楽も一時的に変わり、重めのものを選んでいた。斉藤哲夫の「君は英雄なんかじゃない(早川義夫プロデュース)」から「悩み多きものよ」の歌詞をしみじみ聴いていたり、吉田拓郎の「人間なんて」を初めて聴いて、ちびまる子ちゃんのことを思い出したり、岡林信康の「私たちの望むものは」を聴いてなんだかわけのわからん勢いと一体感と高揚感を感じてみたり。ジョン・レノンのGive Peace a Chanceが69年。岡林は70年、吉田は71年、斉藤は73年。という時代の音楽。

さいきん読んだ文章の中で「自分の生きている時代が特別なものだと思っている。音楽を愛しているような連中は特に」というのがあって、連想したのはやはり70年前後のことだけれど、最近の映画である『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』で「岡林信康/私たちの望むものは」がカヴァーされていると知り、ああ、いまもそのように特別なものなのだと思いたくなった。

2010/07/22

日本三大夜景のひとつ、稲佐山展望台から見る長崎市内の夜景

1000万ドルの夜景で名高い長崎稲佐山から見る夜景でございます。

佐世保市と長崎市を結ぶ西海橋と新西海橋






赤いのが西海橋、白いのが新西海橋。時期によっては大きな渦潮が発生することもあり、自殺もおおかったという。新西海橋からみえる円錐の建物はなんなんだろう。

2010/07/21

夜の佐世保重工業(SSK)





長崎県佐世保市 弓張岳展望台

オレンジ色に光っているあたりに、海上自衛隊、米海軍佐世保基地、ニミッツパーク(米海軍施設)がある。この時間はもう船の出入はなかったが、地上では軍服を着た海軍が街中をパトロールをしていた。
金色の鳥居に碇がぶらさげられたエリアは、アメリカ海軍街?になっており、日本人は入ることができず、通貨もドルなのだとか。

福岡から長崎へ向かう途中に立ち寄った二丈町 姉子の浜






福岡県護国神社

ペイントされていない渋い鳥居は意図的なものでないにせよ、わたしも原木のほうが趣があって好きです。

街中の公園。大濠公園





福岡市美術館の隣にある大濠公園。大きな湖と広い歩道が開放的な気持ちにさせる。
歩道は3種類に分けられており、右からサイクリング、ジョギング、散歩のコースがある。大きな湖を眺めながらのジョギングは気持がいいだろうな。湖の周囲が2キロというコンパクトさもいい。
真夏日のような今日はスターバックスで飲み物を買ってぶらぶら歩いた。

帰宅後ここが博多湾の入江だったことを知る。
大濠公園はもともと博多湾の入り江であったところを黒田長政が福岡城築城の際に堰き止めて作った湖水公園。1927年(昭和2年)に東亜勧業博覧会の会場として整備。中国の西湖に模して造園し、昭和4年に大濠公園として開園。福岡市のほぼ中央に位置し面積は約40万平方メートル。http://www.jrkyushu.co.jp/mjr/ohori/ohori/index.html
湖を分断する橋にあった中国風の建物のこともこの説明で納得する。

福岡市立美術館にも草間彌生のアレがあった

2010/07/20

福岡までは新幹線ではなく飛行機で向かうことにした。8時発の便を取ったので、自宅から伊丹空港までを80分と見積り、6時に出た。30分前に空港につけばなんとかなるだろうと。しかし早朝の電車はかなり本数が少なく乗り継ぎがまったくうまくいかない。途中から飛行機の時間は諦め、のりそびれたチケットはどうなるのかということを考え始めた。まさか無効になるとか?再発行手数料を取られる可能性は高そうだ。だとしたらその金額は?結局空港に着いたのが8時。もはや急ぐ気もしなかったが不安げな顔でフロントに相談すると、今回に限り次の便のチケットをだしましょうという感じで対応してもらえた。ありがとう田中さん!とりあえずはよかったがしかし次の便は満席。キャンセルをまったがそれもなしだったので、結局さらにひと便待って11時出発となる。空港で3時間も遊ぶことになってしまった。携帯でこの状況をevernoteに送信してすごす。

2010/07/17

2010/07/16

中崎町を歩いていると古い町並みのすきまから高層ビルが目に入る。
「小林信彦・荒木経惟/私説東京繁昌記」で読んだ佃島のよう。

関テレ、そしてスーパー玉出。大阪の街。

久しぶりの快晴。扇町公園